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北門笙 ポエムの小径

Small Diameter Of Poem / Syo Kitakado

詩人 北門笙(きたかど しょう)がお送りする「ポエムの小径」
人生の中で起こる1ページを言葉というメロディに乗せ、温かな慈しみをもって歌いあげます。
日曜日の夜は「ポエムの小径」でゆっくりお散歩を。
明日からの1週間、優しい気持ちですごせますように。

ポエムの小径のご紹介

其の66、リンデン・ワルツ

東京の銀座1丁目から8丁目にかけて、南北に「並木通り」が通っている。

両側の歩道には、昭和までプラタナスが植えられていたが、平成になってからリンデンに変わった。

春になるとハート型の葉を茂らせ、夏には白い花が咲き、甘酸っぱいレモンの香りを放つ。

其の65、すみれ色ワルツ

岩手県の太平洋岸を走る三陸鉄道は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。

 三年後には全線復旧し、2019年JR東日本から一部移管を受けて、現在は盛~久慈間163㎞の「リアス線」を運行している。

第三セクターとしては日本最長の鉄道だ。車窓から絶景のリアス式海岸が広がる。

其の64、如月のサイン

昔、道路が舗装されていなかった時代、落葉焚は冬の朝の風物詩だった。

竹箒を手にした主婦や老人たちが、自宅前で道を掃き清める。

霜で白くなった枯葉の山にマッチでやっと火が付くと、煙が燻り、ほどなく水分が抜けてパチパチッと燃え上がる。

其の63、白い軌跡

「雪は天から送られた手紙」

この素敵な言葉を残したのは、中谷宇吉郎(なかや・うきちろう)という科学者だ。

雪の結晶の美しさに魅せられて研究を続け、九十年前、世界で初めて人工雪の結晶を作り出すことに成功した

其の62、分校の四季

秋田県の田沢湖を旅した夏、『思い出の潟分校』をたずねた。

既に廃校となっていて、今は主に観光用に一般公開されている。

分校とは、雪で通学が困難な地域で開かれる季節学校で、昭和三十年代には全国に五百以上あったが、現在は一校も存在していない

其の61、銀河の誇り

昔、科学者たちが、「宇宙から見える地球の色は?」と問われていたら、「たくさんの色でにぎやかだ」と答えたかも知れない。

空は宇宙とつながりながら、地球上の全ての物を、どんな景色も、ただ青一色に染め上げる、神々しい存在なのだ。

其の60、愛の旅立ち

フランスの画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの描いた『いかさま師』という作品がある。

テーブルを囲み、右側に若い青年、中央に艶めかしい女性、そして左端にいかさま師が座って、ポーカーに興じている。

召使いがワインを出すのをサインに、着飾ったその女性は、横目使いと人差し指で合図した。

其の59、窓辺の別れ

晩秋の諏訪湖――
遊歩道に沿って植えられたナナカマドの並木が、真っ赤な実を揺らして観光客を出迎えていた。

その幹は固く、七日間、竈で蒸し焼きにすると、上質な炭が得られる。

だから、「七日竈」と名付けられたらしい。

其の58、下がり葉

後日、青森で〈下がり葉〉という言葉を耳にした——
東北地方では秋から冬への移り変わりが早く、温度が急に下がるため木々の紅葉が見事だ。

ただ、あまりに寒過ぎる時は、葉っぱの先まで赤く染まらず、青いまま垂れて、お辞儀してしまう。

そこへ木枯らしが容赦なく吹き付けると、下がり葉たちは飛ばされ、遠い空の彼方へ運ばれて行く

其の57、あしたの朝から

「恋」という言葉は、男女間の深い特別な感情を意味している。

が、古くは、異性に限らず、何かを叶えたいと願う気持ちが「恋」とされた。

心ひかれ、それを自分のそばにおきたいけれど、やっぱり無理かなと、最初から少し諦めの気持ちが混ざっている。

其の56、金の靴、銀の靴

神社の春祭りの夜店で、藤の盆栽を買ったことがある。

小さな素焼きの鉢に、僅か三十センチほどのピンク色の花房が垂れ下がり、ほろ酔い気分から見とれてしまった。

やがて花も散り、庭に地植えすると、三年余りで屋根近くまで伸びていったが、いくら肥料と水を与えても花房は拝めず、正にアレは一夜の夢だった。

其の55、ドレスを着替えて

源氏物語・空蝉の巻より――
姫君は、薫物の香りに男の気配を察して目を覚ますや、長袴のまま寝室をそっと抜け出した。

暗闇の中、そうとは知らない光源氏は、脱ぎ捨てられていた一枚の薄衣を、仕方なく抱き締めるしかなかった。

この姫を「空蝉」と呼ぶのは、十二単を解いていくと、残った衣がまるで蝉の抜け殻のように、型崩れすることなく畳の上で座っているように、整って見えるからだ。

其の54、青春のロンド

橋の上で足が止まった――。
振り返ると、住み慣れた川べりを、朝焼けが照らしている。

つながれた船たちも、私の部屋の窓もよく見える。

 小鳥の群れがさえずり始めた。さあ、ラッシュのざわめきが来る前に改札口へと急ごう。

微笑の瞬間は、すぐそこにある。

其の53、墨色の彼方

五十三年前のメキシコ・オリンピック—

男子マラソンの銀メダルに輝いた君原健二氏は、練習やレースで「あの木まで走ろう。次の電柱まで頑張ろう」と自分自身をいつも鼓舞したそうだ。

人生はよくマラソンに例えられるが、確かに誰にでも、曲がり角や節目の時期がある。
満たされぬ思いから逃げだしたくなり、人影のない路地にひょいと入りたくなる。

其の52、みみらくの島

「ありとだに よそにても見む 名にし負はば
我に聞かせよ みみらくの島」(藤原道綱の母)

お盆に長崎・五島列島の福江島を訪ねた。

遣唐使の船が出帆した三井楽の港は、折からの台風に揺れていた。

この地は万葉の時代から歌に詠まれた名勝で、平安期の『蜻蛉日記』にも逸話が載せられている。

其の51、ムーラン・ルージュ

地下鉄をモンマルトル駅で降り、丘の傾斜に並ぶ住宅街の階段を下って行くと、麓の劇場に着く。

カフェの屋外テラスに座り、ワインでも飲みながら待つことにしよう。

幕開きには早過ぎるのは分かっていた。
それにしても、夏のパリは時の経過が長く感じる。

白夜は、なかなか更けてくれない――

其の50、月光のミューズ

かぐや姫は元々は月の世界の住人で、過ちを犯した刑としてこの地球に送られてきた。

時を経て、中秋の名月の夜、天の使者が雲に乗って到来。
姫は罪を赦され、悲しむ翁夫婦に形見の衣を残すや、月へと昇って行く――

長く歩んできた人生とは別の道を迫られた時、人はすんなり受け入れられるものだろうか。
引き抜かれた薔薇の木のように泣き叫ぶに違いない。

其の49、恋のアラベスク

女性たちはニカブと呼ばれる黒いベールを頭から被り、露出しているのは目だけ‥‥‥。緑差す黒い瞳の女性たちが、幾何学模様に彩られた寺院に入って行く。

祈りは、神のため?
自分のため?
愛する人のため?

灼熱の中では全てが砂と化し、私の思考も止まってしまったようだ。

其の48、朝顔

朝顔は陽が昇る前に開き、昼には萎れて死んでしまう。

〝一日を一生〟に過ごす儚い花弁。

しかし、すぐに新たな蕾を結び、翌朝も花を咲かせる。

昼寝を挟んでずっと咲いていたかの如く、何事もなかったように次の花弁が淡色を装う。

其の47、白い柵にもたれて

この夏の庭を訪れる度に、ベランダの椅子でスケッチブックを広げたのはもうずっと昔のことで、今は、年々大きくなるマロニエの木陰でうたた寝をするばかり……。

あの時、告白できなかったことを白日夢に見ては、風に起こされる。

時が経つほどに、失くしたものが心の中で膨らんでいく。

其の46、Good Night

すべての鳥の羽が真っ白だった、昔々のお話し——

鳥たちは羽を自分の好きな色にしようと、フクロウが経営する染物屋に通う。

ハクチョウは「このままで良いよ」と言ったとか。

お洒落れ好きのカラスは、世界で一番美しい色にして欲しいと何度も注文をつけた。

いろんな色の染料を試しては塗り、試しては塗り‥‥‥。

其の45、夏のオルゴール

「母君の 泣くを見ぬ日は 我ひとり ひそかに泣きし ふるさとの夏」 (石川啄木)

幼児の頃、母の背中に負ぶわれていたことをうっすら憶えている。

昼寝の時間になると母は子守唄を歌った。布団に寝かせ付ける前に背中で眠りの淵に落とそうとしたのだろう。

其の44、満点星

星の光は何億年もかかってようやく地球に辿り着く。見えているのは、過ぎ去った日々の出来事なのだろうか。

もうとっくに終わってしまった名残りの影、虚ろな光‥‥‥。

ギリシャ神話の神々も、星座の中に閉じ込められたままじっと動かない。

其の43、母のアリオーソ

秋の運動会、彼の母親は来ておらず、お昼もグラウンドでは父親が弁当を広げていた。

「お母さん、どうしたの?」と聞くと、「心臓が悪いので今日は来てないんだ」という。

……何日か経って訃報に接した。駆けつけると、彼は手の甲で涙を拭いながら玄関先で号泣した。私も一緒に泣いてしまった。

其の42、ひとやすみ

深呼吸して、来た道をよく眺め返してみることだ。

思い切って引き返すことも必要かも知れない。
登りの時には目に入らず、やり過ごしていたものに、下山しながら出合うはずだ。

 時計もコンパスも外してみよう。

きっと新鮮な自分を取り戻せる。

Stop & Think !

其の41、馴れ初めの丘

アンリ・ルソーの画いた「眠れるジプシー女」という絵がある。

満月と星々が見下ろす荒野の岩の上、一人の女性が横たわる。

放浪に疲れ果てたか、マンドリンと水差しだけを傍らにおいて、杖を握ったまま眠りこけている。

その寝顔を獰猛なライオンが覗き込んでいる

其の40、fortuna

早朝のロンドン。
そのタクシースタンドは、場末のホテルから少し歩いた所にあった。

「オフィスに間に合うだろうか?」
ようやくブラック・キャブが向こうに見えた!

 その瞬間、袋小路の突き当りの家から一人の若い女性が飛び出して来た。

コートを肩に羽織い、なんと赤いサンダルを指に引っ掛けたまま……素足だ

其の39、七夕の雨

もうすぐ七夕。

中国の伝説に、織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)という二人の働き者がいた。が、結婚すると毎日遊んでいたため、天帝から天の川の両岸に引き離され、年に一度しか会わせて貰えなくなったという。

 この七月七日は、旧暦だと今年は八月十四日にあたる。

爽やかな夏の真っ盛り、美しい星空での、待ちに待ったランデブーなのだ

其の38、はるかウブスナ

『産土神』とは『氏神』や『鎮守神』と並ぶ神道の表し方で、自分の産まれた土地に宿り、一生守ってくれる神様とされる。

 産土信仰に基づく風習の名残りとして、初宮参り、七五三、成人式など、誕生して直ぐから大人になるまで、折々の儀式が今も全国で広く執り行われている。

皆で子供の成長を祝い、明日の弥栄を祈る

其の37、永遠のフィオーレ

「魔法を解かれてどんな気分?」
「いつの時代も私は私。三日咲いて四日目に散るだけよ」

 「明るすぎて眩しくない?」
「今は昼過ぎに花を閉じるけど、昔は夜更けまで咲いていたわ」

 「花の真ん中が黄色いのはどうして?」
「お月さまが目に焼き付いているのよ」

 「カプセルの姿になって眠るのはなぜ?」
「いつかお月さまに戻りたいと、両手を合わせて祈っているの」

其の36、なかなおり

老人ホームの一室————ベッドの母を囲んで、生前葬の真似事をした。

母は半年前から意識がなくなり、寝たきりになっていた。

叔母が自分のバッグからカセットテープを取り出し、録音していた詩吟を枕元で聴かせた。

母と二人の妹は詩吟が趣味だった。

と、母の目尻から涙が一筋、頬を伝いはじめた。

其の35、アマガエル

中学生になって迎えた梅雨明けの日、朝の光に目が覚め、思いっきり雨戸を開けた。

外は久しぶりに陽光が溢れ、庭のバラも色とりどりに咲き誇っていた。

サンダルを履いて庭に出てみると、バラの花弁の中に、なんと緑色の小さなアマガエルが眠っていた。

雨がくれたプレゼント!

急いで部屋に戻り、カメラを持ち出して、すぐシャッターを切った

其の34、ソライロノハナ

平安の昔、明け方や夕方のひと時を、「かはたれ時」と呼んだ。

薄明かりの中で、「彼(か)は誰(だれ)?」と尋ねたからだという。

その後、夕方のほうは「たそがれ時」として今も使われているが、明け方の「かはたれ時」は、時代の向こうへ置いてきぼりにされた。

其の33、マイ・ラブ

淡路島の島影を眺めつつ船の舳先で謡われるのがあの有名な一節。

『高砂や~ この浦舟に帆を上げて~』

住吉の岸に着くや、御祭神が現れ出で、月の光を浴びながら神楽を舞い、民の長寿と平安を祝う。

日本の古典が結集された不滅の〝ラブソング〟だ

其の32、アルタミラ

二万年もの昔、スペイン・アルタミラの洞窟に描かれた赤いバイソンの群れ。

氷河期も乗り越えたクロマニヨン人が、太陽光の届かぬ暗い洞窟で、松明を灯しながら、草原で見た感動を絵にした。

その後、人類は気が遠くなるほど長い時空を生き抜き、現代文明を築き上げてきた。

 しかし、人の心は、太古から今に至るも実は何も変わらず、脈々と受け継がれている。

其の31、かぎろひ

冬の明け方、朝日が昇る寸前に、山の端からレーザービームが空へ放射される、そんな荘厳な光景を想像してしまう。

が、未だに人麻呂の見た物が何だったのかは究明されていない。

この和歌を呪文のように唱えていたら、見えないはずの炎(かぎろひ)が泉のように溢れ出てきた。

其の30、よろこびはそこに

生物の体には、〈体内カレンダー〉が季節周期として内蔵されている。

このバラも、三月に葉が出て、四月に蕾を結び、ようやく開花した。

でも、本当は誰かが密かに近づいて来て、「もう咲くころだよ」と眠っているバラの蕾を揺らしている。自然はメルヘンそのものだから

其の29、真珠のように

「結局、本当に楽しくて快い日というのは、素晴らしいとか感動したとか興奮したとか、そういった何かが起きる日とは違うわ。

例えば、ネックレスの糸ひもを滑り動く真珠のように、それが普通の小さな喜びだとしても、穏やかに次から次へと運ばれて来る、そんな日だと思う」

其の28、いま、嵐のなかで

ピンで止められた昆虫のように、
私の腕は点滴機につながれていた。

嵐の轟音に紛れて、
誰かが篠笛を吹く音が聞こえて来る
————空耳?

私を病室の外へ誘っているようにも聴こえるが、身動きが取れず、じっとベッドに横たわっているほかない。

其の27、根雪

福島の春を告げる〈雪うさぎ〉

桃の花がほころぶ四月半ば、
吾妻小富士の積雪が解け始めると、
山裾に残った雪が兎の形に浮かび上がる。

生命の喜びに跳ねる大地のシンボルは、
作物の種を播く合図だ。

其の26、扉をあけよう

生き物の体には、地球の自転による
一日二十四時間の〈体内時計〉が備わっている。

それにシンクロできなくなると、
目覚まし無しで起きられず、昼眠く、夜更かしへとズレていく。

逆に早起き症もあるが、
どちらも朝の光が体を二十四時間サイクルへと
リズミカルに正してくれる。

其の25、ひだまり

パリの四月の昼下がり――

ルーヴル美術館を出て、
セーヌ川にかかるアール橋(ばし)を渡った。
シテ島(とう)を左手に見ながら、
街路樹の並ぶ川沿いを散策。

待ち焦がれていたように、みんな春の訪れを楽しんでいる。プラタナスも、葉が黄緑色に芽吹いているが、鈴の形をした花、というか丸い実はまだのようだ。

其の24、サボテンの唄

年中、青々丸々としているサボテン。

窓辺で太陽の光を浴びて、ポツンと鉢に納まる姿が愛くるしい。
水をそんなに与えなくても、ただじっと佇み、良いことも悪いことも、まるで全てを受け入れているかのような、大らかな幸せの形。

眺めていて心休まるのは、そのせいか

其の23、ひとりでいたい

毎日ひとりで家にいることが多くなった。

家庭も学校も社会も、今すべてが、しゃがみ込んでいる。孤独と疎外感は、もはや若者だけの特権ではなくなったようだ。

八十年前に太宰治が書いた小説「女生徒」。
その中で、主人公の女学生が語っている。

其の22、三日月ランプともし

そのページは、三日月が空に架かる、蒼(あお)くて薄暗い森だった。

枝の上には梟(ふくろう)が見張っている。木々の茂みの中を、一本の小径が見え隠れしていた。

奥の方にひときわ大きな木があり、根本が大きくえぐられた洞穴(ほらあな)のようになっている。

其の21、生きる

黒澤明監督の映画『生きる』
――母に連れられて映画館で観てから既に半世紀以上経った。

ストーリーとしては、癌で余命僅かと知らされた地方公務員が、絶望の淵で最後の力を振り絞る。

無欠勤だが無気力だった仕事振りが一変、
自ら奔走して立派な児童公園を作り上げていく。

其の20、しあわせ

今は社会が豊かになり、
そんなに求めなくても幸せを実感しやすい。

だが、幸せがあまりに溢れているために、有り難さが薄れ、感じ取る力は弱まっている。

自分自身の足で、見失われた幸せに会いに行こう。

其の19、誕生日

参加者の一人が呟いた。
「 残念!折角、東京から来たのに、今晩は
お月さん、出てないなあ 」

それを聞いて、お寺の住職が説いた。
「 お月さんは、いつも夜空を照らしている。
ただ、今は空に雲が架かっているだけです」

其の18、ひとやすみ

山登りの道半ばで急に悪天候に見舞われた時は、〈ひとやすみ〉してみるのが賢明だ。

そのうち風雨が収まるか、もしかしたら選んだ道
が違っていたことだってある。

一つの道を求めて一所懸命やっていると、知らないうちに視野が狭まり、周りの事がだんだん見えなくなっていく。

其の17、雪割橋

雪割橋————なんと幻想的なネーミングだろう。

冬場、辺り一面雪景色に包まれる中、見えない谷底の川が地表の銀世界を真っ二つに分ける。
渓谷には、一筋の黒い生き物が息を潜めている。

この橋を渡るとき不思議な感覚に捉われる。
歩いて一分くらいの距離しかないのに、
異なる空間へと導かれていく……。

其の16、祈り

急に雨が降り出した。
傘を持って来ている人は少なく、
皆小走りに帰って行く。

誰もいなくなった教会で、祈り方は分らないが、
祭壇に向かい目をつぶってみた。

灯火に照らされたマリア様の横顔が、
私に何かを語り掛けている気がした。

其の15、夢

「夢」という言葉にはもう一つ、「実現したい願望」の意味もある。

明治時代に「ドリーム」という英語が入ってきて、新しい意味が加わったのだ。

この夢を実現しようと頑張ると、やはり睡眠時間がかなり削られることになる。

其の14、コウノトリの空

江戸時代に何処でも見られた鸛は、明治期以降、乱獲、農薬散布、河川改修などの環境悪化で急減した。

一大生息地の兵庫・豊岡市では、昭和の大戦後、市民と行政、生産者が一体となり、文化財保護法の下で人工飼育による繁殖活動を推進してきた。

この間、野生種こそ絶滅したものの、平成元年、遂に二十五年ぶりのヒナ誕生に至る。

其の13、明日へのセレナーデ

あの本に出会ったのは、旅先でのことだった。

東日本大震災の翌年の四月、岩手県のとある街は、春とはいえ、まだ肌寒い曇り空の下にあった。

偶然入った喫茶店には来店客用に本や雑誌が置かれていて、ふと手にしたのが渡辺和子氏の「置かれた場所で咲きなさい」だった。

其の12、ちいさな灯

深夜、漸く一日の仕事を終えて
オフィスのドアを閉
めようとした時、
小さな緑色の灯りに気付いた。

コピー機を消し忘れていた。

室内を見渡すと、
壁掛け時計の針も蛍光色を放って
いる。
微かに秒を刻む音さえ聞こえてくる。

其の11、ふるいギター

映画『禁じられた遊び』
――第二次大戦の最中、親を失った少女が、
死んだ仔犬を
抱いてパリ郊外を彷徨う。

出会った少年の家に養われ、
二人で始めた「お墓遊び」。

親の死を弔う身代わりに、
犬や昆虫や小動物の死骸を
集めて、
お墓作りに夢中になる。

其の10、雨がお化粧したくて

都会の喧騒を抜け出すように、
偶に出掛ける森がある。
そこは、白樺だけが群生している。

葉は春夏、青々と茂り、秋は薄黄色に染まり、
冬は落葉するが、幹は一年中まっ白なままだ。

森の中に一歩足を踏み入れると、
いつしか気持ちが落ち着いて来る。

其の9、いのちの樹

最初の子供ができた時、
妻の母に言われた言葉を胸に刻ん
でいる。

「赤ちゃんができたのは神様からの授かりもの、でも産まれた後は天からの預かりものよ」

生まれて来たこと自体が素晴らしいと、
感謝の気持ちで、
毎日を生きたい。

其の8、天窓

ひょっとすると、この窓は空につながる入口で、誰にも見えない透明なエレベーターが、
クリスタルの柱のように
まっす
ぐ立ち昇っているのでは……。

空想は止まるところがなかった。

其の7、秋のゆりかご

昼間に見る金色ではなく、
銀色の波頭がうねりなが
ら風に靡いている。

波の砕け散る音も、風の戦慄きも聞こえず、
スロー
モーションを見るように
時間が止められた……まさ
に異次元空間。

其の6、月の岬

千年前の平安時代に書かれた
更級日記の一節に竹芝伝説がある。

武蔵ノ国から京都御所へ派遣された
衛士(えじ)の男に、あろう
ことか
帝(みかど)の娘が心を寄せた。

其の5、蒼い月

湾を望む病院の一室から、
大きな青い月が海原を渡って行くのが
見える。

月の光は波と橋を照らし、船を揺らし、
さらに遠く半島の先に灯
る温泉街をも
煙らしている。

其の4、あんふぃに

中学生の時、鬼岩公園という
不気味な名前の小峡谷で遭難した。

川沿いの岩穴をくぐっているうちに、
一緒にいた級友たちから独り離れてしまったのだ。

其の3、水平線

晴れた日に海を眺めていると、空との境界線が円弧を描いているのが良くわかる。

いつも不思議なのは、
水平線が私と同じ目線と同じくらいの高さに
横たわっていることだ。

其の2、砂時計

白い砂が底に溜まると、
逆さまにして、またひっくり返す。

どちらが上でどちらが下か、
当てどない繰り返しには、
最初から時間を測る意志など
込められてはいない。

其の1、ひふみよ

良寛さまが詠んだ和歌がある。

子供を授からないという理由で、
嫁ぎ先から追い出された貞心尼(ていしんに)は、街中で良寛さまを見た。
そして、仏の道の教えを請いたいと、
手紙を送った。

北門 笙 プロフィール

1953年名古屋市生まれ。  
幼少時から作文や詩作に親しみ、学生時代は萩原朔太郎、西脇順三郎ら現代詩人に影響を受ける。  
金融界に身を置く中、 不惑の年を迎えた時に歌の世界に出合い、詩作を再開。  
現在は、オペラの普及活動をライフワークにしながら、心癒される大人のための子守唄を求めて詩の創作を続けている。  
著書に、詩集『ひふみよ』(ポプラ社)、絵本『松の子 ピノ』(小学館)、詩集『失うことの意味』『ふたつなき道』(小学館 スクウェア)がある。

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