スペシャルインタビュー
出会いの大切さ伝え、挑戦する人を増やしたい
福岡県議会議員
仁戸田 元氣(にえだ げんき) 氏
Interviewer
おふぃす文筆
代表・ライター
八尋修平 氏
特別パーソナリティーとして企業経営者らと対談
今回は、福岡県議会議員であり、第84代福岡県議会副議長で仁戸田元氣(にえだ・げんき)さんにご登場いただきます。仁戸田先生は10月から、「PRESIDENT STATION」の福岡支局「PRESIDENT STATION福岡」の毎月第1日曜日のメインパーソナリティーでいらっしゃいます。パーソナリティー就任のきっかけや今後の抱負をお聞きしたいと思います。仁戸田先生、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さっそくですが、どのようなきっかけでパーソナリティーになられたのでしょうか。
私は、松下電器産業株式会社(現パナソニックホールディングス株式会社)の創業者・松下幸之助氏が設立した政治塾「松下政経塾」の卒業生でもありますが、「PRESIDENT STATION」のメインパーソナリティーを松下政経塾の金子一也塾頭が務めていますよね。そういうつながりから「PRESIDENT STATION福岡」の関係者の皆さんとご縁ができ、番組パーソナリティーのお話をいただきました。
番組では毎回、仁戸田先生が福岡で活躍している企業経営者や文化人と対談していくそうですね。全12回のご予定とのことですが、対談相手は仁戸田先生自ら選定し、出演依頼も直接されているとか。
はい。10月1日に放送しました第1回目のゲストは、私の高校時代からの友人でビルメンテナンス業を営む(株)夢屋を経営する毛利敏徳社長にご登場いただきました。今後も、これまでの議員活動を通じて知り合った方々にご出演いただきます。
改めてパーソナリティー就任の抱負をお聞かせください。
県議になり4期目・13年がたちました。この間に多くの中小企業経営者と交流してきました。そこで感じたのは、中小企業経営者の皆さんは事業承継も含めて経営について非常に長いスパンで考えているということです。 日本には歴史の長い中小企業がたくさんあります。また、昨今は起業にも注目が集まっています。私はこれまで、長いスパンで経営を捉えている中小企業経営者の皆さんのものの考え方や、それに起因する生い立ち、個性に触れてきました。何がきっかけで新しい事業を始めたのか、本業にどのように関連付けたのかなどもお聞きし、大変勉強になりました。私のこの経験を多くのラジオリスナーの皆さんにも味わっていただきたいので、ゲスト経営者の考え方や個性をうまく引き出せればと思います。 私自身、ラジオパーソナリティーは初めての経験ですが、日頃の議員活動では多くの方から直接お声を聞き、私は本音を聞くことに注力してきました。経営者同士のマッチングの経験もありますので、これらをパーソナリティーでも生かしていきたいです。
リスナーには何を一番伝えていきたいですか。
人との出会いの大切さですね。最近は、定年まで会社に勤めるだけでなく、起業やフリーランスなど多様な働き方が求められ、それを志向している人も多いと思います。そのために、例えばビジネススクールに通うなどして自己研鑽に励む人もいるでしょう。それも大切なことです。しかしながら、経営学を勉強しただけでは経営者にはなれません。ただでさえ近頃はインターネットやSNSで済まそうとして、人付き合いが希薄になっています。 人との出会いや縁はその後の人生を変える可能性があります。第1回目ゲストの毛利社長は元々サラリーマンでしたが、営業先だった夢屋のオーナーに気に入られ、夢屋を引き継ぐことになりました。どこにどんなきっかけがあるか分からないものです。まさに、その後の人生を変えた事例だと思います。 ここで重要なのは、日頃から色々な人たちと密に関わりを持つということです。そこではじめて出会いや縁に遭遇するものだと思います。私の経験も踏まえますと、メリットを考えずに協力してくれる人が世の中にはいます。おそらく何かしらの波長が合っているからだと思うのですが、そういうことは直接の人付き合いがなければ起こり得ません。起業やフリーランスといった多様な働き方を目指している人には、ぜひ色々なところで色々な人たちと交流してほしいと思います。
番組を通して実現したいことなどありますか?
挑戦できる人を増やしたいと思います。今は、世の中がどんどん二極化しています。賃金も上がらずに格差が広がっている。そうすると、挑戦しようという気になりにくい。そのような挑戦しづらい世の中になることを懸念しています。 私は、「挑戦している人のそばにいるようにしよう」という思いでこれまでの人生を歩んできました。挑戦する人たちの周りには自然と人が集まり、そこからまた輪が広がっていくものです。これは、私が高校生の時に父親から言われたことでもあります。父は私に「挑戦する人のそばに行け。必ずよい環境があるから」、「その先は自分自身の志と能力だが、まずはよい環境の中に身を投じないと可能性が広がらない」と言っていました。父は経営していた会社を廃業しています。きっと挑戦する人のそばに行けなかったのではないでしょうか。自身の反省も込めて、私に、挑戦する人のそばにいることの大切さを教えたかったのだと思います。
仁戸田先生自身もこれまで挑戦の繰り返しだったのではないですか? 福岡県行橋市出身の仁戸田県議は地元の高校から日本大学法学部を卒業後、2003年に神戸製鋼所に入社。06年に退職後、松下政経塾に入塾。09年に卒業した後は、菅直人衆院議員の秘書をしながらPHP総合研究所の特別研究員を務められました。そして、11年に当時31歳の若さで福岡県議会議員選挙に出馬し、初当選しています。
神戸製鋼所を辞めたこと、松下政経塾に入ったこと、県議選に出馬したことの3つは挑戦でしたね。また私の場合は、人との出会いと縁に恵まれていました。加えて、それ以前に幼少の頃から世の中に対する素朴な疑問を抱いたり、政治を身近に感じられる環境にいました。
具体的にはどういう環境だったのですか?
私の父方の祖父は新聞記者で、母方の祖父は労働組合の役員をしていました。幼少の頃、私は両祖父ともに会っていましたが、それぞれの祖父が私に対して言うことが違いました。2人は大卒と高卒で学歴も違えば職歴も違う。支持政党も違う。言わば世の中の縮図がそこにあるわけです。子どもながらに「人によって考え方が違うのだなあ」と思いました。 中学生になると、漠然と政治家になりたいと思っていたのですが、学校の先生や友人からは反対されました。ただ、地元には親族が政治家の同級生もいて、政治が身近にありました。ちなみに、行橋市の工藤政宏市長は、私の2歳上で小学校、中学校、大学の先輩でもあります。
その後の出会いや縁についても聞かせてください。
2009年から菅さんの秘書になりましたが、実は学生時代に菅さんに出会っています。2000年のゴールデンウイークに、高円寺で行われていた演説をたまたま聞きに行きました。演説後に本人に話しかけたら「事務所を手伝わないか」と言われ、真に受けて事務所に出入りし、お手伝いすることになりました。それがきっかけです。
まさに縁ですね。
菅さんのお手伝いをしていると私自身も人の輪が広がりました。ちなみに、神戸製鋼所の入社面接時の面接官は、菅事務所の所長の同級生という偶然もありました(笑)。 神戸製鋼所には3年間勤務しました。以前から両親に「3年は会社に勤めろ」と言われていたのと、ちょうどその頃には政治家を志す気持ちが具体化してきたので神戸製鋼所を退職し、松下政経塾に入塾しました。政経塾を卒業してからは無所属で選挙に出ることも考えましたが、菅さんから連絡をいただき、秘書を務めることになったのです。 その後、県議になってからも色々な出会いがありました。今回のパーソナリティー就任もご縁ですよ。
仁戸田先生がこれからも貫きたい政治信条は?
日本は資本主義社会です。資本主義は勝ち負けがはっきりして二極化します。一方で、日本には民主主義という車輪もあります。資本主義は競争であり、お金があれば強い。他方、民主主義はお金持ちでもそうでなくても1人1人が主権者ですから、極めて平等な世界なのです。資本主義で勝ち負けがある世の中であっても、民主主義によって教育や医療、あるいはチャンスなどはみんなに平等に与えられるべきです。それを守って選択肢と受け皿をつくることが政治の最大の役割だと考えています。また、失敗しても希望を持って何度でも挑戦できる環境を作っていきたいと思います。古い政治と闘っていきます。
最後に仁戸田先生の人となりについて。好きな音楽はありますか?
オアシスのドント・ルック・バック・イン・アンガーという曲が好きです。高校生の頃からオアシスのファンでした。
その影響で学生時代にバンドをしたりなどは?
私はやっていませんが、父は学生時代にバンドをやっていたようで、ドラムもベースもギターもできていました。そのせいか、日頃から父に「何か楽器をやれ」とずっと言われ続けてきました。私もやりたい気持ちがありましたが、強要されたので反対にやりませんでした(笑)。
そのほかご趣味は。
読書は好きです。結構な量を読みます。入浴中に読むので、どの本もふやふやになっています(笑)。
今回は貴重なお話をありがとうございました。
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