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スペシャルインタビュー

元大臣官房審議官が語るリーダー像とは!?

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元国土交通省大臣官房審議官 
佐藤憲雄  氏

企業対談

Interviewer

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おふぃす文筆

代表・ライター 
八尋修平

食料安全保障に関心抱き、東大法から農水省に

今回は、農林水産省の東北農政局長や国土交通省の大臣官房審議官などを歴任された佐藤憲雄(さとう・のりお)さんにご登場いただきます。佐藤さんは、「PRESIDENT STATION」の姉妹番組「PRESIDENT STATION福岡」の妹尾八郎エグゼクティブプロデューサーが代表を務める髙光産業株式会社(福岡市)の顧問でもあります。 1954年5月生まれ、東京都世田谷区出身。都立戸山高校を経て東京大学法学部を卒業され、官界に進まれました。2014年に退官された後は、一般社団法人日本フードサービス協会の専務理事などを務められました。現在でも経済界や政界に広く交流を持たれています。佐藤さん、まずは官僚を目指されたきっかけを教えてください。

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当時の東大法学部の学生は、卒業すると官界か法曹界に進む人が大半でしたので、自然の流れだったと思います。国家公務員試験上級職(法律甲)に合格した後、実は富士銀行(現みずほ銀行)から誘われていたこともあり、1年間だけ勤めました。虎ノ門支店に勤務し、窓口業務や資金管理を担当しました。その後、1980年に農林水産省に入省しました。

農水省を選んだ理由は?

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都会育ちだったこともあり、海や山、田園に対する憧れが強く、それらに関わる仕事がしたいと思いました。また、有事の際の食料安全保障に対しても関心を持っていました。私が生まれた年は戦後から10年もたっていません。幼少期に、母から戦時中の食料難で苦労した話を度々聞いていました。そのため、「食料のコントロールができていないと、将来なにか起きたときに大変なことになるぞ」と子どもの頃から感じていたのです。 農水省は所管する分野が広いのですが、入省後は農業関係だけでなく食品流通や林野庁、水産庁内の幹部ポストも経験し、省内はおおかた回りました。

難航を極めたウルグアイ・ラウンド交渉、住専国会対応にも忙殺される

官僚時代の印象深い出来事を挙げるとすると何でしょうか。

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ウルグアイ・ラウンドと住専問題です。

ウルグアイ・ラウンドは、WTO(世界貿易機関)の前身であるGATT(関税および貿易に関する一般協定)の下で1986年から1994年まで123カ国・地域が参加して行われた貿易自由化のための多国間通商交渉ですね。

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はい。私は、国際問題を取りまとめる国際経済課の総括課長補佐として交渉に携わりました。 当時は、コメの輸入を巡って相当もめました。コメ以外の農産物の輸入枠についても交渉があったのですが、報道でも主食であるコメを輸入するかしないかに焦点が当たりすぎていました。日本の政治家は与党・野党ともに「海外からコメは一粒たりとも入れない」という姿勢でしたが、それだと交渉相手、主にアメリカと現実的な話にならないのです。何度も何度も議論しましたが、なかなか決着がつかない。結局、日本は国内のコメの関税化を延期してもらう代わりにミニマム・アクセス(最低輸入量)による輸入義務を受け入れました。その輸入のコメを「ミニマム・アクセス米」といいますが、全体の需要が減少した現在も年間に当初通り約77万トン輸入しています。ミニマム・アクセス米は、主食用にすると国内にコメが余ってしまうので、主に加工品や援助用に使われています。 いずれにしても、交渉が難航する間、外務省やGATTの事務本部があったスイスのジュネーブの機関と夜を徹して調整していました。

交渉は長期にわたって行われましたね。

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一言で言うと、期限を切って終わるはずの予定がいつまでも終わらないのです。交渉期間中は米国とEUの対立のほか発展途上国と先進国との間でも対立がありました。また、農業分野だけでなく工業分野でもまとまらず、参加国全体の合意にはなかなか至りませんでした。例えば関係国と合意しても、自国内でコンセンサスが取れない場合もあるわけです。日本国内においても農村を基盤とする政治家から強いプレッシャーがありました。

各国が国益を考えて交渉に臨むと思いますが、中でも主張が強い国などありましたか?

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交渉は駆け引きであり、要求が100%通るものではありません。お互いにどこかの部分で折れて、得たいものを得る。先進国同士ではそういう意識で交渉を進めても、例えば中進国の中には自国の要求を目いっぱいする半面、相手の要望を聞き入れずに主張を曲げない国もありました。そうなると当然、全体の合意には至りませんよね。「交渉をまとめる気がないのか」という議論になります。

そのときはどのような調整が行われるのですか。

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議長が関係する国を全部呼んで、交渉がまとまるように促します。関係国はそのたびに合意案を出して、お互いの感触を探る作業を繰り返していました。

難しい交渉が続いたのですね。印象深いものでもう1つ挙げられたのが住専問題です。1995年から1996年にかけて大きな政治問題になりました。個人向け住宅ローンを取り扱う住宅金融専門会社、いわゆる住専が、バブル景気の時代に不動産向け融資を拡大。バブル崩壊後にそれら融資が不良債権化しているのが判明しました。

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不動産価格の高騰を抑えるために、銀行が不動産向け融資を抑制する「総量規制」があったのですが、ノンバンクである住専は対象外となったため、住専が不動産への融資を拡大させていきました。ところが、担保となる土地や不動産の価格が下がり、不良債権化が進みました。当時、住専は国内に8社ありましたが、農林系の1社を除く7社が合わせて6.4兆円もの損失を抱えていることが明るみになったのです。この住専に多額の資金を貸していたのが農林中央金庫や各県の信用農業組合連合会といった農林系の金融機関でした。 損失の穴埋めに際して、「母体行責任論」と「貸し手責任論」の2つの議論があったのですが、最終的にはその間をとるような方法で、損失処理が行われました。6.4兆円の損失については、住専各社の母体行や農林系金融機関が債権を放棄。住専は農林系住専の1社を除いて7社が整理されました。そして、農林系金融機関の損失負担について、負担能力の5,300億円を超えた6,850億円については公的資金の投入が決まったのです。言わば金融システム全体の救済のためでもあり、国内で初めて公的資金が投入される事例でもあったために大問題になりました。

当時は“住専国会”と言われて、連日、国会の議論も報道されました。

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はい。予算委員会でもずっと住専問題について議論していました。私は農業共同組合課の調査官という課長の次席の管理職で国会対応に当たっていましたが、苦労の多い日々が続きました。深夜まで仕事に追われ、午前3時や4時頃に帰宅して就寝した後、6時か7時には自宅を出て国会対応の準備に当たる。そういう毎日でした。

そのように多忙では、ご家族との時間もなかなか取れませんよね。

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土曜日や日曜日も疲れがたまっていましたからね。振り返ると、子どもの運動会なども見に行けなかった気がします。

お話を聞いて、中央官庁の官僚のお仕事は改めて大変だと思いました。

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たしかに官僚は国会対応も含めて多くの仕事に忙殺され、私も苦労しました。しかしながら、国家公務員として滅私奉公をしてきたつもりです。やはり、どのように社会貢献するかが公務員の基礎だと思います。 その点、最近は中央官庁の官僚や政治家の質が劣化していると言われていて、とても残念です。社会貢献への意識が少し薄れてきているように感じますね。

それはなぜでしょうか。

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官僚も政治家も、一人ひとりがきちんと自分の意見、考えを持たなくなりましたね。官僚の場合だと、上司から言われたことをやっていればいいと考えているのではないでしょうか。問題が起きても見ないふりをして黙認する意識がはびこっているかもしれません。私が退官した後の約10年でその傾向が強くなった感じがします。 ただ、これには背景もあります。中央官庁の官僚は、忙しいわりに給与はそこまで高くありません。それでも官僚になる人は、やりがいを求めているのだと思います。そのやりがいが政治主導の下で発揮できなくなっているのではないでしょうか。 ですから、やりがいを感じることができない人たちは官僚を辞めて民間に移っています。それを防ぐためにも待遇を上げることは1つの方法だと思います。

ここからは理想のリーダー像についてお聞きします。佐藤さんは官界や政治の世界で多くのリーダーを見て、ご自身も東北農政局長など組織のトップを務められました。リーダーのあるべき姿についてどのようにお考えですか?

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きちんと責任を果たすことが大切だと思います。昨今の企業や団体の不祥事の数々を見ると、トップが事態を矮小化し、隠ぺいしていますよね。 一方で、トップが辞職することが必ずしも責任を果たすことにはならないとも思います。まずは事態を立て直すことが重要です。そのためにも、日頃から部下が不信感や不満を抱かないような組織づくりを心掛け、万が一何かあった場合は自らが責任を取る姿勢を見せることが大切です。みんなが嫌がることを率先してやるのがリーダーだと思います。

今からリーダーになろうとする人にメッセージはありますか?

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最近は、法律やルールは守っていても、それ以前のモラルに欠けている人が増えているように思われます。常識外れな行為でも違法でないならいいのだ、みたいな風潮がある感じがしないでもありません。周囲への気遣いも足りなくなっていますね。リーダーになろうとする人には、法律やルール以前のモラルも大事にしてほしいです。 また、部下に対する指導でも、前例や影響力を持つ人の言動にこだわらず、進取の気性で取り組んでいただくことを期待しています。

最後に、佐藤さんの人となりに触れたいと思います。好きな音楽はありますか?

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フォークソングが好きです。「かぐや姫」や「チューリップ」の曲を聴いていました。今でもカラオケに行くと、その時代の曲をよく歌いますよ。

背が高くて体格がいいのが印象的ですが、学生時代にスポーツはされていましたか?

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身長が179センチで当時としては高い方でしたから、高校時代はバレーボール部に所属して、大学ではアメリカンフットボール部に入部しました。

アメフトですか! 激しいスポーツですよね。なぜ入部しようと?

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野球などと違って中学・高校での経験者が少ないので、大学から未経験で始めても他の大学とそこまで差がないだろうし、面白そうだと思ったからです。 ただ、練習はきつかったですね。日曜日以外は講義が終わった後に、毎日練習していました。当時は「水なんか飲むな」の時代でしたから、夏場は炎天下の中で、体がカラカラになっていましたよ。チームは東京六大学に日本大学を加えた7大学によるリーグに加盟していましたが、東大野球部のように万年ビリではなかったですよ(笑)。

ちなみにポジションは?

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オフェンスのタイトエンドです。相手をブロックし、時にはクオーターバックからのパスを受け取る役でもあります。ぶつかり合いが激しいので、現役時代には骨にヒビが入って手術もしました。

それは痛々しい。そのような体育会時代の経験がお仕事で役立ったことは?

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やはりタフな交渉の場や大変な状況になっても、くじけずにいられたことは鍛えられたおかげだと思います。 今から20年ほど前、省庁で仕事を終えてからタクシーでの帰宅途中に事故に遭い、右足の靱帯を切ってしまいました。病院で診てもらうと、4本ある靱帯のうち2本が切れていて、お医者さんが言うには「1本は今回の事故時ではなくて大昔に切っているみたいだ」と。それで思い返してみると、どうやらアメフト時代に1本切れていたものをずっと気付かずにいたようなのです(笑)。我ながらよく持ちこたえていたなと思いました。ちなみに、事故当時は課長クラスのポジションで法改正の時期でもあり、大変多忙でした。手術をすると、その後の治療も含めて長期間仕事を空けなければならないので、結局、手術はせずに今もそのままにしています(笑)。

そうでしたか。今も何かトレーニングはされていますか?

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少し前まではランニングをしていましたが、今はウオーキングですね。1日2万歩を目指しています。じん帯が2本ありませんから、膝に負担がかからないようにしなくては(笑)。

本日は貴重なお話をいただきありがとうございました。

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