スペシャルインタビュー
株式会社ゼットン 鈴木社長が語る。オペレーションの力
株式会社ゼットン
代表取締役社長
鈴木伸典 氏
Interviewer
CLEAR INNOVATION 株式会社
代表取締役 CEO
山本凌大 氏
本日は株式会社ゼットン代表取締役社長の鈴木伸典さんにインタビューをさせて頂きます。 よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
では、鈴木さんの自己紹介をお願いいたします。
私は1971年10月23日に岐阜県で縫製工場の3代目として生まれました。 実家は縫製業を始めて70年以上経っています。 しかし、僕が大学生の時のバブルと呼ばれる時代では、繊維は斜陽産業に突入していくタイミングでした。 そのため継ぐかどうかの迷いがありました。 そんな中、事業家にはなりたかったので名古屋での大学生生活は、「人との繋がりを広げる」という個人活動に注力していました。
その個人活動とは、具体的にはどのようなことをされていたのでしょうか。
これは年齢を問わず、多くの方にアプローチをかけるというものでした。 当時の名古屋ではトヨタという巨大企業で経済が回っているフレームが存在しており、人的繋がりの輪の中に入ってしまえば仕事が回ってくるといった時代でした。 そんな中、バブルが弾けた後も業績を伸ばし続ける企業の経営者に顔を覚えてもらおうという考えで大学4年間を過ごしました。
当時のご経験が現在のお仕事に大きく繋がっているのでしょうか。
大学生ながら、自分を経営者の方たちに売り込むことで、向こうからお声を掛けてもらうことも増えました。 そこから名古屋で活躍していく先輩たちとの出会いが僕の大きな財産になりましたね。 その中の1人に、zettonの創業者がいました。 当時は、自分が将来どんな人とどんな仕事をするのかは決めていませんでしたが、人々との繋がりが自分の幅を広げ、知らないことを学んだり感じたりした大学4年間でした。
なるほど、創業者の稲本さんともそういった個人活動で出会われたのですね。 飲食業界へ興味を持たれたのもそのころでしょうか?
はい。 創業者との繋がりから、学生バーテンダーをやることになりました。 飲食業って面白いなと感じるようになりましたが、これを自分の本業にする気にはなれませんでした。 僕が法学部だったため、周りの人間は司法書士や弁護士を目指す人が多かったです。その影響もあり、僕も司法書士を目指して就職浪人しました。 学生時代に行っていた個人活動の経験から、机に向っての作業や勉強が全く手に付きませんでした。
そこからzetton入社にはどのように繋がったのでしょうか。
zettonが新しい形態の飲食店を名古屋で展開し、ブレイクしていました。 僕が試験に落ちてしまったタイミングで、zettonが2号店を出店することが決まり、創業者から声がかかりました。 自分にフィットしない司法書士ではなく、新しい道へ行こうとzettonへの入社を決めました。
当時の創業者やzettonへ抱いていた印象はどのようなものでしたか?
創業者は当時サラリーマンだったので「元気のいいお兄さん」といった印象でした。 彼はサラリーマンをやりながら、クラブ立ち上げのバーテンダーもしていました。 そのクラブで僕は創業者と出会い、身近な頑張ってる社会人に出会えたという嬉しさもあり、学生時代の生き方の指南をしてもらいました。 「バーテンダーをしないか?」という誘いもあって、学生バーテンダーを始めるきっかけになりましたね。
ありがとうございます。 それでは、鈴木さんがzettonに入社されてからのことをお伺いしたいと思います。 店長を経て2004年に副社長就任、そして現在は社長をされています。 鈴木さんがzettonに入社されてからの気持ちの変化やぶち当たった壁がありましたら教えてください。
バーテンダーを通して飲食業に楽しいなというイメージはありましたが、本業にしようとはこの時も思っていませんでした。創業者から2号店出店時に誘ってもらいましたが、腰掛けでお世話になろうとしていました。 しかし、なかなか辞めるという決断ができず、そのまま正社員になりました。
鈴木さんのお気持ちに変化はあったのでしょうか?
飲食業を本業としてやれるともやりたいとも思っていませんでしたので、違和感を感じていました。 当時の飲食業は15~16時間出勤も当たり前で、給料も安いといった状況です。 「俺はいったい何をやっているんだろう」と考えるようになり、20代後半から30歳にかけてずっと悩みました。 自分が無く、無力な自分と対峙しなければならないという、辛い期間でした。今思えば黒歴史です(笑)。
大学生時代のご経験は当時の鈴木さんにとってどのように作用したのでしょうか?
大学4年間をかけて社会人とのコミュニケーション能力をある程度得たはずなのに、本当にそれが通用するかわからなくなり、自身がなくなってしまいました。 そして「自分は何もやってこなかったんだ」と気づき、ゼロからスタートすることが必要だと感じるようになりました。 そのタイミングで2号店の店長になりました。
店長になられてから考え方に変化はありましたか?
辞めるという選択肢は常にありましたが、辞めるに辞めれない状況でした。 その時に、自分が20代の時から抱いてきた野心や夢を全て一切断ち切ろうと思い、目の前の仕事に集中し、頂いた給料での生活を充実させようとしました。いわゆる「諦め」です。 そこで初めて、何も経験してきていない無力な自分と向き合うことができたと思います。
入社された時から抱えてこられた大きな悩みを払拭できたわけですね。 ご自身はどのように変わっていかれましたか?
一番変わったのは「人とのコミュニケーションの取り方」です。 中でも、zettonで一緒に働いている社員を本当の仲間と思えるようになりました。 それまで外を向いて生きてきましたが、これからは内側を向いて、仲間とのコミュニケーションを大切にしようと決めました。もっとお互いを知ろう。もっと自分を知ってもらおう。としました。 そうすることで、僕自身がとても楽になりzettonの人たちはこんなに僕を求めてくれているんだと気づきました。
なるほど。鈴木さんの中で一番大きな変化をご経験されたタイミングだったのですね。 大きな変化は、仕事やオペレーションにどのような変化をもたらしましたか?
それまでの僕は、熟練サービスマンが陥りがちな「なんでも自分でやろうとする」というミスを犯していたと思います。この変化を経て、大きな店舗づくりに必要不可欠な「仕組みづくり」に着手しました。 僕ができることをどうやったら他の人ができるようになるか。どうしたらもっと効率的・合理的にオペレーションができるかを研究しました。 店舗全体を俯瞰し、スタッフのキャスティングから教育まで考えるようになり、売り上げが劇的に伸びました。
考え方ひとつで売り上げアップまで! 凄いですね!
当時、飲食業を営んでいるという感覚は不思議となくなり、洗練されたオペレーションの上に商品として飲食業が乗っているという感覚でした。 オペレーションが持つ力の大きさに気づき「商品を磨こう。精密なオペレーションを行うための教育をしよう。」と視野が広がっていきました。
オペレーターとして仕事をすることで、より内側に目を向けるようになられたんですね。
そうです。 内側にいる仲間とのコミュニケーションがさらに深くなっていきました。自分の磨くべきプロフェッショナリズムはこれだと感じました。
その発見と決意から、社長になることを決められたのでしょうか?
はい。しかし迷いましたよ。 年齢的にも独立を考えましたが、まだ何をやっていいかわからない自分もいました。起業して独立したら目の前にいる仲間と離れることになってしまう。しかし、独立しなければ自分のやりたいことが自由にできないと悩んでいる時に、zettonの代表権を手に入れるしかないと考えるようになりました。
鈴木社長が社長を目指される背景に、座右の銘にも挙げられている「人間大事」という考え方があったんですね! 社長になられた後、コロナ禍からの業績V字回復や公園再生事業など数多くの実績を積まれています。その背景を教えてください。
これは、僕が代表権を得てすぐに起きた1回目のTOBまで遡ります。そこで赤字だった会社を僕が引き継ぎ、黒字化することが最初の目標でした。 まず最初に行ったのは大きな閉店で、うまくいっていない店舗を全部閉めました。業績を回復させるためにチームを作り直そうと、360人の全スタッフと1人1人面談をしました。 そして、経営理念に立ち返りました。
「店づくりは、人づくり。店づくりは、街づくり。」ですね。
はい。 「店づくりは人づくり」については、全社員に面談を実施しました。「店づくりは街づくり」をどう実現しようかと考えていたところで出会ったのが、葛西臨海公園のリノベーション依頼でした。 パークライフカフェだけでなく、公園全体を作り変えるというダイナミズムを感じ、「店づくりは街づくり」という理念を実現できるのではないかと思いました。
公園再生事業について教えてください。
葛西臨海公園に実際に行き、青い空と青い海と芝生と森を見て、人々が集まる仕組みを作ることが次の我々の仕事だ。と思いました。 僕たちがこれまでやってきたコンセプトやデザイン、オペレーションをこの公園全体に対して行えばビジネスにも繋がる可能性を感じました。カフェを2つ、BBQ場を2つ、ウェディングのプロデュースなどを仕掛けました。 その結果、初年度から大きな反響を呼びました。
凄いですね! そこにはどんな仕掛けがあったのでしょうか?
以前より感じていた飲食業の収益構造を変えることの必要性もあり、レンタルビジネスなどを入れて粗利額を上げようとしました。そして、ウェディングのプロデュースという粗利額の高い事業を減価償却なしで行うためにパークウェディング事業を展開したり。さらには、集客の母数を上げるためのイベントの開催を行ったり、さまざまな作戦を実装しました。 僕が事業承継をして、現在行われている様な飲食業の形態では、現在の飲食業の収益構造を抜本的に変えることはできないと感じました。そこで、飲食業を営んできた人たちが自分たちのテクニックやノウハウを活かせる新しいビジネスとは何だろうかと考えた時にこの「公園再生事業」に繋がりました。
ありがとうございます。 最後に、次世代の学生たちにメッセージをお願いします。
今の若い人たちはすごくいい価値観を持っていると思います。 大量生産大量消費の時代において、自分のことを客観的に見れている若者が増えてきていると感じます。僕たちが学生の頃は大きいことが良かった時代でした。今は大きいことが必ずしも良いという時代ではなく、自分自身の好きなことや世界観をどのように持ち、そこから自分が手にするものにフォーカスされている時代だと思います。 若い人たちは自分自身を大事にしてほしいですね。 若い人たちが自分の価値観を大切にすることによって、僕たちが社会に提供するサービスやモノが変わっていくと思っています。僕たちはこれからも新しいサービスをご提供していきます。
鈴木さん、本日は貴重なお話をありがとうございました。大変勉強になりました。
ありがとうございました!
会社概要
会社名 | 株式会社ゼットン |
代表者名 | 鈴木 伸典 |
所在地 | 東京都渋谷区神南1丁目20-5 VORT 渋谷 briller 9階 |
事業内容 | ハワイアンカフェダイニング「アロハテーブル」はじめ、和洋問わず個性的なダイニングを多数手がけ、現在は葛西臨海公園や名古屋にある徳川園、横浜の山下公園などをはじめとした「公園再生事業」など、飲食店経営の枠を超えた事業で躍進。 |
SNS拡散用・本ページのQRコード